KAIDO
徳川家に仕えたと伝わる表具師の町家。築120年の家が、作品を掛けたまま一日ひと組を迎える。
My WayInside the Ryokan

蒲原宿・素空庵。掛け軸職人の家は、泊まれる美術館になった。

徳川家に仕えたと伝わる表具師の町家。築120年の家が、作品を掛けたまま一日ひと組を迎える。

旧東海道五十三次のなかで、蒲原は「名前を知らないまま、見たことのある宿場」かもしれない。広重が深い雪のなかに描いた『蒲原 夜之雪』——腰をかがめた旅人と、白く沈んでいく街道。あの一枚の舞台である。実際の蒲原は、絵の冬よりずっと穏やかだ。山と駿河湾に挟まれた細長い町に、旧街道沿いの古い家並みが肩を寄せ合い、小さな駅から歩いて五分でその只中に着く。

その一角に、築およそ120年の町家がある。格子の表構えに、奥へ奥へと続く薄暗い間取り。この家は長いあいだ、表具師——掛け軸の職人——のアトリエだった。表具は、絵や書そのものを描く仕事ではない。裂地の縁、紙の裏打ち、木の軸。作品のまわりに静かな建築を組み、壁に掛けられ、巻いて仕舞われ、何世代も生き延びられるようにする仕事だ。この家に連なる職人は、徳川家に仕えたと伝わる。いわば一世紀のあいだ、人の美しさに奉公してきた家である。

素空庵の室内に展示された布の作品
素空庵の室内は、そのまま展示の場でもある。作品は、客が実際に過ごす部屋に掛かる。

この家を引き受けたのが、旧街道沿いの建物を直し、もう一度働かせる清水の小さな会社・KAI堂の牧田裕介だ。建築を学び、スイス・ローザンヌの設計事務所で働いた。人生の向きを決めたのはスイスそのものではなく、帰国後の車窓だったという。どこで降りても同じに見える住宅街が流れていくのを眺めながら、すでに失われた歴史の量を思った。大学院ではリノベーションによるまちの再生を研究し、ひとつの確信が残った——景観は、上から設計できない。一棟、一人、ひとつの使い方。個別の答えの積み重ねとしてしか、風景は残らない。

素空庵は、その「個別の答え」のひとつだ。職人の家を残すいちばん分かりやすい方法は、凍結すること。部屋に柵をして、道具に説明札を付けて、週末だけ公開する。牧田は逆を選んだ。家はまるごと、一日ひと組にだけ貸される。そして作品は、あるべき場所に掛かったままだ。ガラスケースの中ではなく、ちゃぶ台の上に、床の間に。客が本を読み、湯を沸かし、眠る部屋を、作品と分け合う。コンセプトは一行に収まる。Art home, Inn the house.——布団のある、プライベートな町家美術館。

藍ののれんが掛かる素空庵の入口
旧東海道に面した素空庵の入口。JR蒲原駅から徒歩5分。

泊まってみると、これは不思議に落ち着く体験だ。畳の上で目を覚まし、雨戸を開けても、作品はまだそこにある。閉館時間に追われることも、次の客に場所を譲ることもない。町も静かに手を貸してくれる。隣の由比では夜明け前に桜えびの船が出て、広重が富士を描いた薩埵峠へは、旧道を歩いて一時間ほどで着く。

一世紀のあいだ美術に仕えた家に、いまは旅人が住まう。それが蒲原の、この家の答えだ。素空庵の建物と空室状況はこちら

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