工房には、かすかに青い匂いが満ちている。切ったばかりの竹は、草と雨のあいだのような香りがする。作業台の上には細いひごの束。一本一本が箸より細く、なかには藁ほどに繊細なものもある。職人は、小さな鋼の板に開けた穴へひごを通し、何度も何度も引き抜いていく。一度通すごとに、ひごは丸く、細くなる。音はやわらかく、規則正しい——しゅっ、間、しゅっ。朝が終わるころには、百本のひごが台に並ぶ。そのすべてが、寸分たがわず同じでなければならない。一本でもわずかに太ければ、仕上がった籠にそれが表れる。まっすぐ並んだ縦の線のなかに、一筋だけゆがみが見えてしまうのだ。

これが「駿河竹千筋細工」——静岡市に伝わる竹細工である。「千筋」とはおおよそ「千の細い竹の線」という意味で、仕上がった品を一目見れば、その名が語るとおりだとわかる。虫籠、花籠、茶托。どれもが平行に走る竹の糸でできた、小さな建築のよう。その間隔があまりに均等で、光は櫛を通る水のように、するりと抜けていく。

街道が生んだ手仕事

静岡は、江戸と京都を結んだ海沿いの大街道・東海道の宿場町だった。かつて駿府と呼ばれたこの城下町は旅人でにぎわい、まわりの山々には竹が豊かに茂っていた。江戸期を通じてこの地の竹細工は栄え、東海道を歩く旅人たちは、軽く小さなこの品を土産として持ち帰った。鳴く虫を入れる籠、籠、笠。細い竹で編んだ籠は、ほとんど重さを感じさせない。江戸まで二週間歩く者にとって、それは大切なことだった。

この駿河の細工が、多くの竹細工と一線を画すのは、ひごの形そのものにある。ふつう職人は平たいひごを編む。だがここでは、「ひご」を丸く削り出す。まるで細い丸棒のように。そして編むのではなく、熱で曲げて輪にした竹に小さな穴を開け、そこへ一本ずつ差し込んでいく。できあがるのは籠というより、細いペンで描いた鳥籠のような姿だ。一九七六年、この技は国の伝統的工芸品に指定された。だがその本当の証しは、もっと古い。何代もの旅人が手に取り、その軽さに驚き、買い求めていったことだ。

根気こそが、技である

職人の仕事を眺めていると、一日のうち、はなやかに見える作業がいかに少ないかに気づく。小さな炎で輪を曲げる瞬間——まっすぐな竹がやわらかくなり、くるりと丸みを帯びる、あの一瞬——はほんの数秒で終わる。一日の大半は下ごしらえだ。竹を割り、削り、寸法をそろえる板へひごを一本、また一本と通し、たがいに見比べていく。

なぜひごをここまで均一にするのか。その答えは、神秘めいたものではなく、きわめて実際的だ。ひごは一本ずつ、開けた穴に差し込まれる。髪一本ぶん太ければ収まらない。細ければ、がたついて抜けてしまう。ひとつの籠には百を超える穴と百を超えるひごが要り、その組み合わせのすべてが正確でなければならない。誤りを隠す接着剤などない。品は、まっすぐ立つか、立たないか、そのどちらかだ。

これは、古い街道ならわかってくれる教えだろう。東海道を歩くこともまた、繰り返しがほとんどだった。一歩、また一歩を、一日に一万回。よい形で宿場にたどり着くのは、歩調を乱さなかった者だ。駿河の職人は、小刀を手に、その均一な歩みを守っている。

受け継がれてゆくもの

今も静岡には、この技を守るいくつかの工房がある。仕事の幅は静かに広がってきた。昔ながらの虫籠や茶道具に加え、今では竹の影が壁に細い平行線を落とすランプシェードや、茶席のための小さな器もつくられる。道具はほとんど変わっていない。修業の道もそうだ。それは意匠からではなく、ひごから始まる。何かを組み立てることを任される前に、まず何か月もかけて、百本の竹を見分けのつかないほどそろえて削れるようになる。

仕上がった籠を窓にかざし、ゆっくりと回してみる。線は動くように見え、重なり、開き、その一瞬、それは物というより、光を整えるひとつのかたちに思える。そして気づく——ほとんど重さがないことに。これは、街道を運ばれるために作られたものなのだ。

その道は、今も続いている

静岡は訪れやすく、のんびりとした一日と相性がいい。古い東海道は今も街を貫き、茶畑の丘へと伸びていく。この地のいくつかの工房では、ひごを引く様子を見たり、輪を曲げてみたりと、訪れる人を迎えてくれる。旅の途中の、よい立ち寄り先だ。一時間、ひとつのことをきわめて丁寧にこなす手を、ただ眺めて過ごす。

そして旅のあとに、この誌がいつも立ち返る問いが残る。近道をせずに削った、寸分たがわぬ百本のひご。それがあるからこそ、小さな籠は何十年もその形を保つ。あなたにとっての、その百本とは何だろう。日々のなかで、ほかの何かを組み立てる前に、まっすぐに削っておくべき一本とは。

静岡の工房で過ごす、ゆるやかな朝。それがあなたの旅の形に思えたなら、古い東海道をたどるKAIDOの旅と、その旅を支える宿は、静かな出発点になるはずです。